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日本統治下の禁断の恋 パク・チャヌクのデカダンス – 日本経済新聞

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カンヌ映画祭リポート2016(3)
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重い情念、鋭い痛み、鮮烈な映像。韓国のパク・チャヌク監督もカンヌにめでられた映画作家である。「オールド・ボーイ」(2003年)でグランプリ、「渇き」(09年)で審査員賞を受賞。3度目の出品作となる「アガシ」が14日、コンペに登場した。
原案は英国人作家サラ・ウォーターズのミステリー小説「荊の城」。19世紀半ばのヴィクトリア朝の英国だった舞台を、日本統治下の1930年代の韓国に置き換えるなど、大胆に翻案した。原題は「お嬢さん」の意味の韓国語。仏語題も同じ意味の「マドモアゼル」だが、英語題は「ザ・ハンドメイデン」で「侍女」の意味である。
下町でスリをして暮らしているスッキ(キム・タエリ)が、上月(チョ・ジンウン)の広大な邸宅に連れて行かれる。上月のめい、ヒデコ(キム・ミニ)の侍女になるのだ。スッキを送りこんだのは上月の友人である藤原伯爵(ハ・ジョンウ)。もともと韓国人で成り上がり者の伯爵にはヒデコを妻にしようという野心があり、スッキはそのための道具なのだ。
スッキはヒデコの美しさに魅了されるが、その暗い影にも気づく。ヒデコの叔母の上月夫人は庭の桜の木で首をくくって死んだという。ヒデコが伯爵に好意を持つように仕向けるのがスッキの使命だが、伯爵を嫌うヒデコに次第に寄り添うようになる。
社会の底辺で育ったスッキと暗い影をもつヒデコ。2人の若い女がひかれあうさまがエロチックに描かれる。バラの花びらを浮かべた湯に入った裸のヒデコ。そのとがった歯を削ろうと、口の中に指をさし入れて、指ぬきでこするスッキ。互いに服を着せながら背中にそっと触れあう2人。うぶなヒデコに寝床の中で愛しあい方を教えるスッキ……。伯爵を拒否するヒデコをスッキがたしなめると、ヒデコはスッキのほほを激しく打つ。
しかし物語は単純ではない。3部構成の第1部はスッキの視点で語られるが、第2部はヒデコの視点で語られ、その暗い過去と第1部では隠されていた事実が明らかになる。ヒデコは幼子のころから上月が所蔵する膨大な春本を朗読させられていた。年ごろになると上月夫人の後を継ぎ、上月の友人たちの前でも読まされた。さらには恥ずかしい見せ物まで……。ヒデコもこの暗い獄から逃げ出そうとしており、その計略が浮かび上がる。
全編にデカダンスの匂いが濃厚に漂う。パクはサドなどの西洋文学から日本の春画までを援用し、退廃ぶりを鮮烈に視覚化する。和洋折衷の屋敷は格好の舞台だ。ふすまの隙間からの窃視、畳の大広間での秘密会、着物の女をなめるように見る洋装の男たち。近代の退廃を強烈に描き出しながら、スッキ、ヒデコ、伯爵ら虐げられた者たちの野心を浮き彫りにする。そして、計算ずくと思われたスッキとヒデコの禁断の恋は……。
パクは記者会見で「近代化が韓国人にもたらした影響を描こうと思った」と語った。「日本の支配下に置かれていた当時、韓国人の心のうちは個々に異なっていたが、中には日本に憧れを抱く人や、魅せられている人もいた。そういう人が日本に魅せられた理由やその心理を描きたかった。韓国と日本がどうということではなく、社会のヒエラルキーや個人の思いを描きたかった」。近代を表現する視覚的要素として、主舞台となる邸宅の建築様式に西洋風、日本風、韓国風が混在する点を指摘し「様々な様式が出現し混合していった時代のモダンの力学に関心があった」と説明した。
そんなパクのクールな認識が、この映画に国境を越える普遍性を与えていると思う。ヒデコもスッキも伯爵も上月も、かつてあった社会的紐帯(ちゅうたい)から切り離されてしまった人間だ。寄る辺ない近代社会の中でもがき、出口を求める人間たち。そんな近代人の疎外感はパク作品に一貫して流れるものであり、その根底にあるパクの世界観が今回は最もくっきりと表れている。
それでいて、なまめかしく、痛々しく、切なく、美しい。さすがパク・チャヌクだ。
 ◆   ◆   ◆
コンペ前半で一番面白かったのは14日に上映された「トニ・エルトマン」。「恋愛社会学のススメ」(09年)で知られるドイツの女性監督マーレン・アーデの作品だ。バリバリ働くキャリア女性と、そのどうしようもない父親との愛憎の物語。日本でも共感を呼びそうな題材だ。
娘は経営コンサルタントとしてブカレストに赴任している。クライアントの経営効率化に関する大きな案件が詰めの段階で、忙しい。そこへ小学校で音楽教師をしている変人の父親が突然やってくる。愛犬を亡くして寂しがる父親を、娘は適当にあしらおうとするが、父親はしつこい。プレゼンの前やパーティーの最中にぬっと現れる。娘のイライラは極限に達する……。
前半は父親の奇人ぶりに、後半は娘のはじけっぷりに大笑いした。まじめで優秀な女性だが、心にはいささかの空白を抱えている。父親の目を見つめられなかったり、恋人に意地悪く接したり。そんな娘の微妙な心の揺れを描き出すのだが、その描き方が実に映画的なのだ。
一番おかしかったのは、娘が仕事仲間を招くホームパーティーの準備をするシーン。タイトなワンピースを独りで着ようとする娘は、背中のファスナーをフォークを使って締め、ハイヒールをはこうとしてしゃがんだら、身動きがとれなくなってしまう。服を脱ごうとして、ベッドの上で半裸になって七転八倒する。そのうちにベルが鳴り、客が次々とやってくる……。
がんじがらめの娘のあせりをアクションで表現し、しかもスリリングだ。「女性ならでは」というフレーズは意味があいまいなので極力使わないことにしているが、こればかりは女性の服を着ている人でないと考えつかないアクションだ。一本取られた。
プレゼンの直前にブラウスを血で汚してしまい(これも父との対立が遠因だ)、部下とブラウスを交換して乗り切るシーンのスリル。ブカレストの近代的なホテルからフッと見おろした外に見える貧しい家々が示す現実感。一つ一つのショットが生々しく、ヒロインの心理をリアルに伝える。何か賞に絡みそうだ。
「ユマニテ」(99年)と「フランドル」(06年)で2度グランプリを獲得したフランスのブリュノ・デュモン監督のコンペ作品「マ・ルート」も面白かった。暗いトーンの初期作品とはうって変わった喜劇である。
海岸でムール貝をとった父母と子供4人の漁師一家のリヤカーを、都会から来たブルジョワ家族の自動車が追い越していく。そこに2人の刑事が現れる。この海辺の寒村で失踪者が相次いでいるのだ。
タネはすぐ明かされる。入り江の渡守もしている漁師一家が、バカンスに来る金持ちを捕獲しては食っているのだ! ところがブルジョワ家庭の男装の美少女と漁師の長男マ・ルートが恋に落ちてしまう……。
猟奇的な話だが、出てくるのは凸凹コンビの刑事からブルジョワ一家の面々までコミカルな人物ばかり。太っちょ刑事も金持ちの父親もたびたびずっこけて、地面を転がる。地に足が着いていないのだ。さらには空中を浮遊する人まででてきて、さながらルイス・ブニュエルのように、ブルジョワを徹底的に戯画化する。一方の漁師たちはデュモンの初期作品に描かれた農民のように地面をはう人々なのだが、こちらもかなり極端な描き方だ。マ・ルートは食欲を感じると、獣のようにうなる。
「ジーザスの日々」(97年)や「ユマニテ」でフランスの片田舎によどむ暗く重い情念を生々しく描き出したデュモン。それとは正反対のコメディータッチだが、実は見つめているものは同じような気がする。そこに近代の裂け目が見え隠れするのだ。
(編集委員 古賀重樹)
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